東北ツーリング2日目

ライハの撤収時に先輩がストーブで手に火傷を負ってしまい、今日のはじめは自分が運転。
1.5Lで5MTのカルタスワゴンSツーリングはいくら運転してもワクワクします!

元々バイクでまわる予定の旅だったので、先輩がツーリングマップルの走りスポットを案内してくれました。
といってもほとんどルートは先輩任せでしたが…orz
運転中により写真がとれませんでしたがここの猪苗代から続くドライブウェイは非常に走りやすく、景色もきれいで爽快でした。この脇に見えた湖の写真は先輩が撮ってくださったのかな…?

安達太良山山頂付近の道の駅で休憩。
昨日よりも天気がよくなってきていい感じ。
向こうの山々には雪が積もっており、ほどよく涼しかったです。

「きぼっこの森」が見えました。
この辺りは午前にもかかわらずライダーで賑わっていました。

のどかな景色が続く中、ひたすら移動。
途中、街に出た時に先輩のヤケドの薬を買いました。

街からまたワインディングに入り、走っていきます。
渋滞もなく快調!!

立ち寄った霊山パーキングにて。
調度良い休憩場所はここしかなく、あとは山道をひた走っていた気がします。

ちょっと走って路側帯に車を停め、運転を交代。
こんなかんじの道でした。

ワインディングを抜け、広い道に出ました。

原発が非常に近く、ゲートを見ようとわがままを行って国道をちょっと引き返したり。
先輩には本当にご迷惑をおかけしました(´;ω;`)

南相馬市市境。
この先の道では原発○○km先といった警告看板が少ないながらも出ていました。

海の近くの市道を走っていると津波に飲まれた集落を発見。

見渡す限り何もないのですが、草原に道路だけは存在し、集落のあった形跡が所々に見られます。
遠くにはカタチだけ残った建物が。

蓋を剥がれたマンホールを覗きこむと、赤錆を湛えたヘドロが浮いていました。

もがれた看板の付け根。

積み上げられた瓦礫が確かに、ここに人の営みがあったことを物語っていました。
信じられない、異様な光景です。

新しい土台に古い石碑。
流されたものが元の場所に戻されたのでしょう。

臨時の神社。

手を合わせました。

街があったとは思えませんでした。

非常に見通しのきく道を走ります。
原発周辺はこの地点で多少離れていたことと時間の都合で今回はパスすることに。
宮城方面に進路を戻しました。

国道ではなく海に近い市道を通っています。
しばらく進んだ所でもまた瓦礫とそれを撤去する重機が。

道沿いにも建物の土台が。

広範囲にわたってひしゃげたガードレール。

テトラポッドを作っていました。

左脇にも土台。

かなりの広範囲にわたって津波が襲ったことが分かります。

残っている建造物も浸水のためかほぼ全て廃墟に。

青看板。
海側の右方面の記載は消されています。

一旦国道にでたときの横断幕。
「復興支援ありがとう!!」
前回いわきを訪れたときはだいぶ復興してるなぁなんて思いましたが自分がみた場所の被害が少なかっただけでした。一面更地になって、瓦礫が積み上げられて…こういった場所は初めて見ました。

送電線にこの道…どうやら線路があったようです。

なんとなくで分かりましたが線路はもう無くなっていました。

寂しい風景が続きます。

ガレキ。

廃墟。

クルマまで。

農地では除塩作業をしていたようです。

防災復旧工事の垂れ幕をさげたダンプカーはこの日1分に1回といっていいほどの頻度ですれ違いました。
ものすごくたくさん走っていました。

いつの間にか宮城県に入っており、何も食べていなかったので昼食を食べる場所を探すことに。
ランチタイムを逃していましたが、「とんかつ小野」をみつけとりあえずここに。

プレハブのような作りでしたが店内の雰囲気は結構前からあるお店のようです。
この辺りも建物が流されたりしていたみたいです。
亘理町荒浜にあるここは海から2kmも離れていませんでした。

自分はヒレカツ定食、先輩はカキフライ定食を。
衣がきめ細かくサクッとしており、肉は分厚く噛めば噛むほどおいしい、めちゃくちゃ美味しいとんかつでした!
今でもこの味を思い出せます。東北巡礼で一番美味な食事でした。
(特産物などをことごとく逃してしまっている、ってのもありますが純粋に本当にウマいです)
先輩が頼んだカキフライもつまませてもらうと絶妙な揚げ具合でおいしかったです。
遅い時間にも関わらず嫌な顔ひとつしないで応対してくれた店主さん、ありがとうございましたm(_ _)m
二人でうまいうまい言いながら食べてお会計の時においしかったです!と言うと「もっとゆっくりしてきなよ」なんて笑ってくれました。店主さんめっちゃいい人や・・・。

時間がないので急いでしまいました。
仙台空港付近を通過し、先輩が下調べしておいてくれた神社へ。

境内があったことを思わせます。

ほとんどすべてバラバラになっていました。
本殿や鳥居は震災後に新造された真新しく小柄なものでした。

ちなみに神社の目の前にあった建物に駐車したのですが・・・

木の板で窓が目張りされ、入り口にはこんな貼り紙が。

仙台空港を尻目に・・・というかうまく撮れませんでしたorz
あの向こう側が仙台空港です。写っている斜面のコンクリートと鉄パイプは防災用の何か?

仙台市に突入。
ちなみに仙台空港は名取市です。

車通りのそこそこある道沿いでもまだ廃墟が。
遠目に見える学校もすでに廃校…?

プレハブで作られたセブンイレブン。
この当たりには墓石がなぎ倒されてそのまま直されないまま散乱している墓場があり、ショッキングでした。

三車線の国道に接続し、コンビニで休憩していると南海部品仙台店を発見。
バイク好きとして行くっきゃありません。

入り口にはミニチュアハーレーのカリフォルニアスクーターが。
台湾製の150ccエンジンを積んだオモチャみたいなバイクです。
ここではバイク用品などを色々購入。
お店が非常に広く、用品以外にもアパレルやオモチャが豊富で楽しかったです。

先輩のカルタスのワイパーゴムはずっと交換されていないようでほとんど拭きとってくれない状態だったので途中オートバックスへ。昨日ご迷惑をかけたお詫びとしてワイパーゴムを交換しました。
そこの店舗で見た、低燃費タイヤ実感用のワンオフ自転車。
たしかにこれなら効果が分かりやすそうです。
しかしここを出る時に自分の運転でテールスポイラーを縁石にぶつけるという…orz
本当に申し訳なさでいっぱいです。

日本3大景観、松島へ。
曇り気味の天気が残念でしたが、景色はたしかにきれいでした。

展望台のすぐそばにある風流な茶屋。
セルフタイマーで記念撮影を頑張ろうとしているとタバコを吸いに出てきた主人さんが話しかけてくれ写真を撮ってくれました。静岡から来たことを伝えると「また遠いところから」と喜んでくれ、震災の時のことを色々聞かせてくれました。
展望台の下は崖なのですが、そのすぐそばまで津波が来て、当初は本当に色々ひどかったそうです。

美しい景色は戻っても、亡くなった人たちは戻ってきません。

主人さんが「ここから石巻は近いよ、はやく行っといで!」と励ましてくれ、第一目的地の石巻市立大川小学校に、本格的に暗くなってしまう前に到着。
100人近くの生徒や教師が命を落とした惨劇の場所が未だに残り、献花台があるということで是非足を運んでみたかったのです。

これが小学校でした。

人生経験の短い自分ではありますが、文字通りに"絶句"したのは生まれて初めてかもしれません。

むごすぎて、悲しすぎて、本当に何も言葉が出ませんでした。
先輩に何か話そうと思ってもできませんでした。

判断ミスにより大勢の、未来ある子供たちがこの校庭で命を落としました。

こんなにひどいこと、あってもいいのでしょうか。

黒板が見えます。

破壊され尽くした校舎。

あの日の津波の暴力性を物語っています。

奥に千羽鶴が・・・。









この日は一生忘れません。

大川という非常に大きな川の近くでの出来事でした。

石巻駅周辺のホテルへ。

マイルーム石巻という、アパートタイプのビジネスホテルをとりました。

部屋は結構きれいでした。

夕飯を探しに駅前に。居酒屋くらいしかありませんでした。

石巻立町復興 ふれあい商店街を発見。

大きな鯉のぼりが飾られています。

賑やかそうな雰囲気でしたが残念ながら自分たちの行った時間ではほとんどの店が閉まっていました。

レンタサイクル。時間があったらこれを借りて街をまわってみるのもおもしろそうです。

飯屋が近くに無かったので車で国道まで移動し、仙台味噌の名前があったラーメン屋に。
この辺りのチェーン店のようでしたが値段が非常に安く、おいしかったです。
自分は二郎リスペクトを匂わせるもやし味噌ラーメンを、先輩はラーメンとチャーハンを。
餃子が5コ100円で、二人して何皿も頼んで食べたのを記憶しています。
3日目に続く!
| 放浪記 | 01:05 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
やっぱり痛ましいですよね・・・。
自分も3・11の写真や9・11テロなど大勢の人が亡くなった惨状を見ると胸が痛みます。
何を想い、何を願って死んでいったのか。生きたくても生きることができなかった人々。その一人一人のことを考えると胸がいっぱいになります。
余談ですが3月11日は自分の誕生日だったり・・・(笑)
| NONOJI | 2013/06/01 09:48 | URL | ≫ EDIT